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ミサイル基地がやってきた 島で生きる
¥2,000
★あらすじ 「署名した人たちに応えたい。責任をはたしたい。」 沖縄県石垣島では、陸上自衛隊ミサイル基地が開設した。(2023年3月)。石垣市には、自治基本条例という独自の条例があり、そこには2022年6月まで有権者の4分の1の署名が集まれば市長は、「所定の手続きを経て、住民投票を実施しなければならない」と書かれてあった。「石垣市住民投票を求める会」は2018年、1か月で石垣市の有権者の3分の1以上の平得大俣(ひらえおおまた)地域への自衛隊配備の賛否を問う住民投票条例制定請求署名を集めきった。その数、14263筆。しかし石垣市は未だに住民投票を実施していない。「求める会」は、裁判でたたかい続けている。署名をしてくれた人たちに応えるために。 市議会と市民をつなぐ 農業を営む花谷史郎さんは、もともとは自衛隊基地建設に反対ではなかった。しかし、市や防衛省の説明に納得がいかず、基地建設予定地周辺の住民に推され、市議会議員になった。駐屯地建設は、どんどんすすんでゆく。彼は、農民の目線で市議会と市民をつなぐ。 戦前がはじまる 2023年3月、200台近くの軍用車両が民間の石垣港から自衛隊基地に搬入された。その後、ミサイルの弾薬も運ばれた。3月16日部隊開設。ゲートには自動小銃を構えた自衛隊員が警備し、駐屯地外には「北朝鮮」の弾道ミサイル対策のPAC3が配備された。 ★製作スタッフ ・企画、撮影、編集:湯本雅典 ・ナレーター:名川伸子 ・唄・演奏:Yoshitoo! 山里節子 ハルサーズ 大月ひろ美 山本ちひろ ・価格:2000円(税込・上映権付) ・70分 16:9 NTSC/COLOR ・撮影:2019年2月~2024年1月 ・完成:2024年3月 ★予告編 https://youtu.be/UKRvaGXU-co
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ドキュメント石垣島 2023年3月陸自ミサイル基地開設の瞬間
¥1,000
2023年3月、コロナが一時あけたことを受け沖縄県石垣島には多くの観光客が戻り始めていた。石垣島から他の島への旅を楽しむ観光客であふれていた離島ターミナル(民間港)の真横には、3メートルの壁に仕切られた中に陸揚げされたばかりの100台以上の軍事車両が並んでいた。 3月16日、陸上自衛隊石垣駐屯地が開設した。正面ゲートには、自動小銃を携行した自衛隊員が警備に立つ。市街地にある自衛隊宿舎からは迷彩服の自衛官が出勤する。 3月18日、石垣港新港地区の旅客船ターミナルに自衛艦おおすみが接岸した。ここは通常大型クルーズ船が接岸する場所だ。おおすみからは、ミサイルの弾薬が石垣島に陸揚げされた。 78年間戦争の道具が存在しなかった石垣島に、ミサイル基地が開設した。「この島には、戦争という言葉がないんだよ」と島の人が話してくれた。 ・企画、撮影、編集:湯本雅典 ・ナレーター:名川伸子 ・挿入曲:とぅばらーま 唄:山里節子 ・価格:1000円(税込) ・20分 16:9 NTSC/DVD-VIDEO/COLOR ・撮影:2023年3月 ・完成:2023年7月 ・装丁:小野文哉 予告編 https://youtu.be/cwEULWF0T3U
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島がミサイル基地になるのか 若きハルサーたちの唄
¥2,000
この作品は、2019年2月から2021年4月にかけて石垣島にかよい撮影したものです。 石垣島では、2019年3月から、陸上自衛隊ミサイル基地(隊員500人規模、東京ドーム9個分の大きさ)の建設が始まっています。しかしこの問題、島の人々の十分な合意が得られていないのです。 そこに疑問を持った28歳の若者たちが2018年暮れに始めたのが、住民投票運動。これには、島の有権者の3分の1以上の支持が集まりました。しかし、石垣市はこの要請を拒否しました。 若者たちが大事にしたのは、「話し合って決めましょう」ということです。 若者たちは、裁判にもうってでました。しかし裁判所は地裁、高裁、最高裁と請求を却下、棄却しました。それでも、若者たちは運動を絶やさず続けています。 私は、彼らからコロナも相まって深まる社会の閉塞感を乗り越えていくのは、人と人とが話し合うことをあきらめてはいけないということだと教わりました。カメラは、この2年間の若者たちを追い続けます。ぜひ、ご覧ください。 □DVD『島がミサイル基地になるのか 若きハルサーたちの唄』(2021年/60分) ・2000円(税込み・上映権付) ・監督:湯本雅典 ナレーター:名川伸子 挿入曲:ハルサーズ「僕らのまち」「ヌンディドゥナン」「話そうよ」 ピアノ演奏:本澤陽一 DVDジャケット・フライヤーデザイン:小野文弥 □ 予告編 https://youtu.be/Xla7AQ6INPs
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沖縄と本土 一緒に闘う
¥2,000
ドキュメンタリ―映画 沖縄と本土 一緒に闘う 〇軍備拡張を続ける日本政府 2017年12月7日、沖縄県宜野湾市の緑ヶ丘保育園の屋根の上に、米軍ヘリの部品と思われるものが落下した。その数日後には、近くの普天間第二小学校の校庭に、米軍ヘリの窓枠が落下した。 一方名護市辺野古では、土砂の埋めたて工事が始まった。同じ年の9月には辺野古新基地建設に反対を表明している玉城デニーさんが、沖縄県知事に選ばれた矢先のできごとである。 〇沖縄では、声をあげ続ける 沖縄県民の多くは、米軍基地の拡張を望んでいない。そのことは、各所で証明されてきているにもかかわらず、その声は一方的に無視され続けてきた。であれば、これからどうやって住民は生きて行けばいいのか。その難問に答えを出すかのように動き始めたのが、「辺野古」県民投票運動である。 南西諸島で急速に進められている、自衛隊の基地建設。2019年3月には沖縄県宮古島、鹿児島県奄美大島で同時に陸上自衛隊ミサイル基地が開所した。そして基地のない石垣島で、ミサイル基地建設が始まった。工事開始時期は、カンムリワシの営巣時期に重なった。それでも防衛省は工事に踏み切った。その過程で、石垣島でも平得大俣への自衛隊ミサイル基地建設の是非を問う住民投票運動が始まっていた。 〇軍事面で沖縄化する本土 米どころ秋田で、沖縄と同じことが始まろうとしていた。2017年12月、政府はレーダーとミサイル発射装置を兼ね備えた迎撃ミサイルシステム、イージスアショアの導入を閣議決定した。しかし、その後の国政選挙に県民の反対の声が反映した。 沖縄も本土も、根っこは同じである。闘う相手も、方向も。 ・企画、撮影、編集:湯本雅典 ・ナレーター:名川伸子 ・挿入曲:ハルサーズ 「僕らのまち」「ヌンディドゥナン」 ・エンディングテーマ:多田一弘 KANNAGARA PROJECT「僕の歌」 ・価格:2000円(税込・送料別) ・60分 16:9 NTSC/DVD-VIDEO/COLOR ・撮影:2018年12月~2019年12月 ・完成:2020年4月 ・装丁:橋本真紀子
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沖縄から叫ぶ 戦争の時代
¥2,000
タイトルの説明ですが、沖縄に取材に入る前はこんなタイトルになるとは思いませんでした。しかし、沖縄県辺野古や離島(宮古島、石垣島、与那国島)そして鹿児島県奄美大島に入り、私がいままで見たことのない光景を見たとき、このタイトルしかないと感じたのです。 巨大な基地が、今作られ、これからも作られようとしている。米軍と自衛隊の基地です。おまけに、住民の意見などろくに聞かずに国はおしすすめている。安倍首相は憲法を変え、9条に「自衛隊」を明記すると言っています。その行きつくところはここなのだと実感しました。 私は、これまで「選挙」の映画を2本作り、市民が政治にかかわることの意味を考えてきました。今回は、「政治にかかわってください」という気持ちを最大限こめた映画になっています。おそらく、日本全土が平和を脅かされる暗雲に包まれつつあります。その緊急性を、この映画でお感じください。もちろん、国にあらがう人々は山ほど登場します。ぜひ、ご覧ください。 *東京ドキュメンタリー映画祭2019 準グランプリ受賞作品 予告編 https://youtu.be/bmIo6UghiuM
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選挙が生まれる2・東京 私たちは歩き始めた
¥2,000
2017年9月28日、野党第2党だった民進党が事実上解散し、わずか3日前にできた「希望の党」への合流を決めた。「希望の党」の政策協定書の原案には「集団的自衛権には基本的に容認する」と明記してあった。この日から、それぞれの地域で培ってきた市民と野党の共闘運動の真価が問われる闘いがはじまった。 映画「選挙が生まれる2・東京 私たちは歩き始めた」は、史上初めて取り組まれた参議院選挙での野党共闘運動(2016年)の第2ステージを東京を舞台に描いたものである。日本の民主主義が根付く瞬間、瞬間をカメラはとらえた。それは、これまでにない苦しいが意味ある場面の連続であった。 ・制作: 湯本雅典 ・ナレーター:堀切さとみ ・製作協力:市民と野党をつなぐ会@東京、チェンジ国政!板橋の会他 ・テーマ音楽「GO VOTE こんな人たち」:ジョニーH ・ジャケット、フライヤーデザイン:橋本真紀子 ・価格:2000円(税込) ・68分 16:9 NTSC/DVD-VIDEO/COLOR ・完成:2018年1月(撮影:2016年11月〜2017年11月) ◎予告編(YouTube) https://www.youtube.com/watch?v=G7Iq7cVMN3I
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共謀罪が通った日 「前夜」がやってきた
¥1,500
ラインでもつかまる「共謀罪」 2017年4月審議入りした「テロ等準備罪法案」いわゆる「共謀罪法案」が、6月15日に可決成立した。これまで3回廃案になった法案が、約2か月で成立したのだ。 「共謀罪法」は、犯罪の準備段階でも処罰をくだすことを可能にする。政府は、「一般人は、監視の対象にならない」と何度もくりかえした。しかし、法案の審議がすすむなかで「嫌疑の対象になれば一般人ではなくなること」が明らかになっていく。疑われれば、ラインでつながっている人たちも「共謀者」になってしまうのか。 一般人が、宗教者がたちあがった カメラは、個人で集会に参加する人たちを追う。自分で作製したプラカードを持って参加したデザイナーは、「以前はこのようなところには来なかった。3.11以降の政治を見ていて黙っていられなくなった」と語った。 政権を担う公明党の支持母体の創価学会員が、国会前でマイクを持った。「治安維持法で投獄され獄死した創価学会初代会長牧口常三郎先生が、『ここに立てよ』とおっしゃっているようです」と語った。 「前夜」にしてはいけない 政府は、参議院の委員会決議を省略して一気に本会議採決に持ち込んだ。ここに安倍政権が、何が何でもこの法案を通したかったという意図が見える。戦前のような風景が徐々に近づいているのか。現在を「戦争前夜」にしてはいけない。 ・製作、ナレーター: 湯本雅典 ・テーマ音楽「平成元禄下々節」:ジョニーH ・価格:1500円(税込) ・33分 16:9 NTSC/DVD-VIDEO ・2017年9月 ◎予告編 https://youtu.be/hzB5HUDdFOk
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選挙が生まれる 長野と群馬の挑戦
¥2,000
2016年参議院選挙、長野・群馬の野党共闘の記録 2015年9月、集団的自衛権の行使容認を含む「安全保障関連法」が成立した。その後、全国で同法を廃止させるために、野党は共闘して国政選挙を闘おうという声が上がり始めた。 長野県では、2016年1月の段階で民主党、共産党それぞれが候補者を内定していた。そこで、信州市民連合が結成され、市民から候補者の一本化を求める声が強くなっていく。市民団体「希望・長野ネット」は、独自に野党と市民の対話集会を開催し、野党に対して直接市民が意見を言う場をもった。このような地域や市町村での独自の動きが、野党統一候補(杉尾ひでやさん)を誕生させた。 群馬県では、民進党の候補者がなかなか決まらない状態が続いた。群馬県は、自民党の首相4人を輩出した超保守王国だ。その群馬で新しい市民団体がいくつか誕生、また市民団体を束ねる「ぐんま市民連合 へいわの風」もできた。そこで活動していた堀越けいにんさんが、野党統一候補として自らの作業療法士という仕事を辞して立候補した。その後、堀越さんの人生初の選挙活動を支える市民の輪が、どんどん広がっていった。 ・製作: 湯本雅典 ・ナレーター:大川久美子 ・協力:信州市民連合、希望・長野ネット、ぐんま市民連合 へいわの風、かたつむりの会他 ・価格:2000円(税込) ・71分 16:9 NTSC/DVD-VIDEO ・2016年10月(撮影:2015年9月〜2016年8月) 予告編 https://youtu.be/P0V3Im55KRA
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福島県教職員組合 双葉支部の心
¥2,000
学校という場が最悪の事態に陥った中、福島県教職員組合双葉支部は、毎年夏休みの期間を利用して、震災の時双葉支部だった教職員全員への職場訪問を行ってきました。そこには震災から5年目の「現実」を何とかしたいという思いがあります。 福島県双葉郡ではいまだに仮設校舎の生活が続く学校があります。また、震災時の子どもたち、教職員は「ばらばら」にさせられたままです。 自分たちに「二つのふるさと」ができたということを考える時間を、子どもたちに残すべきではないか。そこで生まれたのが教材「ふたば」です。子どもたち、仲間たちと一緒に震災に向かい合いたいという「双葉支部の心」がそこにありました。 ・製作 ナレーター: 湯本雅典 ・協力:福島県教職員組合双葉支部 ・40分/16:9/NTSC/DVD-VIDEO ・価格:2,000円(税込) ・製作:2016年3月 ≪予告編 YouTube≫ https://www.youtube.com/watch?v=x0M1cvs255s
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福島 浜通りの学校
¥2,000
震災直後、何が起きたのか 車でテニス部のグランドに生徒を迎えに向かった。学校に戻る途中、津波に遭遇した。 (富岡第一中学校教員) 震災当日、 長男は中学校の卒業式でいつもより早く帰宅。その直後に大きな揺れが始まった。長男と弟の小学校に車で向かう間に自宅が流された。 (元福浦小学校保護者) 避難指示が出され、クラスの子どもたちとは離れ離れとなった。 (元富岡第二小学校教員) 知られてこなかったこと 「兼務発令」で子どもとも同僚ともばらばらになった。 (元富岡第二小学校教員) 震災の年の暮れにPTAだよりを発行し、避難先の保護者のみなさんに送った。 (元福浦小学校PTA会長) 冬のある日、プレハブ校舎の教室内に雪が積もっていた。 (元小高中学校教員) 今、浜通りの学校は、震災後、 今日までずっとプレハブ校舎で学んでいる。 (小高中学校生徒、教職員) 開校しても、戻ってきた生徒は1割。多くの教職員が他校へ転勤した。転勤先でも、双葉郡から避難してきた子どもたちに語りかけている。 (元浪江中学校教員) 震災を忘れてほしくない。伝えなければと思う。 (元富岡第二小学校教員) ・製作 ナレーター: 湯本雅典 ・協力:福島県教職員組合、富岡町立富岡第一中学校、福浦こども応援団ほか ・40分/16:9/NTSC/DVD-VIDEO ・価格:2,000円(税込) ・製作:2015年3月 ≪予告編 YouTube≫ https://www.youtube.com/watch?v=ihlED2dCv3I&list=PLgJCQh96UKxKBQy14dJQ1dIWQ2OC91kkk&index=84
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李さんの綿
¥2,000
この映画の主人公は奈良県天理市立夜間中学校の生徒、李福順(イポクスン)さん(2010年逝去、享年90歳)です。李さんは、1944年に25歳で渡日し、戦後は失業対策事業(肉体労働)に従事し、5人の子どもを育てました。 李さんは、小さいころは家業の農家を手伝うために学校には行けず、6歳からわたの糸紡ぎを覚え、20歳になるころには相当のはた織りの技術を身につけました。 李さんは、戦後朝鮮半島に里帰りした際に綿の種を日本に持ち帰り、日本の自宅で綿を育てていました。その種を夜間中学の教員が譲り受け、夜間中学の畑でも植えられました。 そして李さんの綿は、李さんが亡くなった今でも夜間中学校生徒の手で植え続けられ、毎年実を結んでいます。 李さんの綿の種を人づてに手に入れ育てた東京の踊由紀子(おどりゆきこ)さん(76歳、アマチュア画家)は、3年前から綿を育て続け、油絵「何度目かの被曝」にその綿を描きこみました。そして、「何度目かの被曝」は、福島県内で展示されることになるのです。 この映画は、時を超えてさまざまな人の手で植え継がれ、伝え継がれた「李さんの綿」を追ったドキュメンタリーです。 ・製作 ナレーター: 湯本雅典 ・協力:奈良県天理市立北中学校夜間学級、福島県教育会館、福島県教職員組合他 ・43分/16:9/NTSC/DVD-VIDEO ・価格:2000円(税込) ・製作:2014年3月 ≪予告編 YouTube≫ ※以下、チラシ(裏面)の文面です。 ◆李さんの錦の種が 今年も実を結んだ 李福順(イ ボクスン)さんは、自分が通っていた夜間中学の教員に「錦の種がありますよ」と話した。その錦の種は李さんが戦後、朝鮮半島のふるさとに一時もどったとき日本に持ち帰ったもので、日本の自宅で毎年植え続けられていたものだった。 李さんの錦は、李さんが亡くなってからも夜間中学の畑で、生徒さんたちの手によって植え続けられている。 ◆李さんが大切にした絵と畑 李さんは、鳥や自然の絵を500枚以上遺した。 李さんは、夜間中学には授業が始まる何時間も前から来て畑を耕し、自分が育てた野菜や草花を絵に描いた。 李さんは、同じ絵を何枚も何枚も自分が納得するまで描いた。 ◆李さんの錦が奈良から東京へ、そして福島へ 李さんの錦の種は、人づてにいろいろな人の手に渡った。 その中のひとつ、東京に住む踊由紀子(おどり ゆきこ)さんの手に渡り咲いた錦の花が、踊さんの福島を描いた絵画「何度目かの被曝」に描きこまれた。 そして絵画「何度目かの被曝」は、福島県の教育会館に展示されることとなる。 ※作品の宣伝にご協力頂ける方、チラシを無料にて送らせて頂きますので、ご連絡下さい。 予告編 https://www.youtube.com/watch?v=ceLynf9z53E&feature=youtu.be
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何も変わらない中で 2013年・春・福島
¥1,500
◆自宅にもどることをあきらめた [浪江町] 震災後2年がたち避難地域の再編がすすみ、ある程度の立ち入りができるようになった。 しかし、同時に避難区分の解除まで5年〜6年はかかることも明らかになった。 警戒区域から避難している人たちの中には、自宅にもどることをあきらめる人も出始めている。 ◆勉強ができる学校環境ではない [南相馬市] 小高中学校は原発から20km圏内にあり、今も他の学校の敷地内のプレハブ校舎に間借りしている。 やっと特別教室(美術、技術、音楽、理科室)ができたがガスが来ず、理科の実験でガスバーナーも使えない。 ◆自宅の建築中に放射能が降ってきた [郡山市] 震災時、建築中だった自宅のコンクリート壁から高線量の放射線が検出された。 行政はその壁を削ってくれたが、削った壁は今も自宅の敷地内に埋めてある。 ◆福島にもどっても、アンテナをはっている [猪苗代町] 2011年3月から親子で郡山市から東京に避難。しかしこの春、子どもの小学校入学を機に福島(猪苗代町)にもどった。もどってみて少しはほっとしたが、完全に安心したわけではない。 今も、アンテナをはって生活している。 ≪予告編 YouTube≫ https://www.youtube.com/watch?v=ew-Q1WQJrFw&feature=youtu.be
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子どもたちを放射能から守れ 福島のたたかい
¥2,000
子どもたちは、絶対に守る! 2011年3月12日、14日の福島第1原発の水素爆発は、放射性物質を大気中に拡散させ、それは福島県内外に拡散した。国や県はそれを放置し、学校、 保育園等の即時の放射線値測定を怠った。その危機を察知したのは、親で あり教員たちであった。 文部科学省は4月19日、学校等の放射線暫定基準値として20ミリシーベルト/年を 発表。その数字は、ただ単に国が決めた基準値である1ミリシーベルト/年の20倍 に幼児・子どもをもあてはめようとする、あまりに無謀なものであった。 そして福島の親たちは、ついに「子どもたちを放射能から守る」を合言葉 ≪予告編 YouTube≫ https://www.youtube.com/watch?v=edfwAvmZHc8
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学校を辞めます 51才の僕の選択
¥1,000
湯本雅典さんは、小学校の英語教育を巡って、現場の授業準備が難しい実態と検証を 求める訴えを新聞を通して発信したことで、異動を言い渡された。 仲間の応援もあって、結果的には転勤を免れたが、心には大きな傷が残った。 薬の量が増え、音楽なしには通勤できない状態だったという。 そして、26年間勤めてきた小学校の教員を中途退職する決断をする。 51歳になっていた。 教職には留まりたかったが、自身の体調不良、高齢の親を心配して退職する結論に 至ったのだった。 現在は親のマンション経営を引き継ぎ、その傍らで子どもたちのための「じゃがいもじゅく」を運営してい る。 湯本雅典さんの生き様を綴った渾身の作品だ。
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『不適格』教員の烙印を押された男 ジョニーカムバック
¥2,000
理科の授業では、歌に乗せて、おしべとめしべの役割を説明するなど、ジョニーこと疋田 (ひきだ)哲也さんの授業はとてもユニークだ。 しかし、彼は「適格性の欠如」を指摘され、解雇処分が下された。 私物を校内に置いていたことなどを咎められ、研修を受けていた中での突然の処分。 いくらなんでも、重すぎる。 人と違うことが当たり前、そういう自己のあり方を追求していった方が、本人はもち ろん、周りも幸せになれることがあるのだ。 生徒の記憶に強烈に残る授業を行う教員がどれだけいるだろうか。 多様性を大切にする社会が、その社会を持続させる。 学校は、画一的な人間を育てる場所ではない。 料金:2,000円(税込み・送料別) 予告編 https://www.youtube.com/watch?v=vZBjmDq2XPI
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国労バッジははずせない! 辻井義春の闘い
¥2,000
頑なに国鉄時代のバッジをつけ続ける辻井義春さん。 それは、国鉄の仕事に全身全霊で向き合った、仕事に対する誇り以外のなにものでも なかった。 ところが、国鉄がJRになったという理由だけで、国労バッジを外すように命が下される。 普通なら、上からの命令にただ従うまでだが、彼は頑として自分のプライドにこだわっ た。 そんな些細な反抗心を上層部は咎め、減給処分や休職処分を言い渡す。 彼はそれでもめげなかった。 自分はこうありたい、という主張の大切さ、理不尽なことに真っ向から戦いを挑むこと の大切さを辻井さんは教えてくれる。 料金:2,000円(税込み・送料別)
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わたしたちは忘れない 福島 避難区域の教師たち
¥2,000
私たちも被災者だ 学校、職場、家族がばらばらにされた教師たちの記録 2011年3月11日の震災後、爆発を起こした福島第一原子力発電所周辺の 小・中学校は、休校となった。被災した職員は、自分の家族と共に避難 せざるを得なかった。それでも彼らは、ちりぢりばらばらとなった児童、 生徒の実態把握など、できることから教育活動を再開した。 福島県教育委員会は、5月に早々と2012年度の新規採用をしないことを発表。 当面、学校では現行の教員数で混乱した教育現場の建て直しをせざるを えなくなった。 さらに原発の影響で休校中の学校の教職員には「兼務発令」を出し、 現任校に在籍しながら児童・生徒が転校した先で勤務するという体制を とらされた。 この結果、ちりぢりになった自分の生徒たちへの関わりは思うようにでき なくなり、避難先から兼務校への遠距離通勤を強いられる教職員も続出した。 震災後、被災地の学校現場に真に求められていたことは、一体何だったの だろうか? 予告編 https://www.youtube.com/watch?v=QI98mEyH9c8
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子どもたちと生きるために 福島の教師たち
¥2,000
原発震災 納得できねえ! 放射線の下 おとなも子どもも生きていくために何が必要か! 学校に問われていることは? 福島では警戒区域が改編になり、一部立ち入ることができるようになった。 しかし生徒たちは、いまだに避難先から長時間かけてプレハブ校舎の学校 にバスで通い続けている。 生徒たちに関わる教師はこう語る。「生徒の口癖は『納得できねえ』なん です。これは親の言葉なんです」 被曝地福島で働く教師たちは、何のために働き続けているのか? ある教師 は、「生活のため」と語った。 しかし彼の郡山の実家の裏山には、除染のために掘られた校庭の土が捨て られた。地域住民には何の説明もなく。 原発事故以前には、ほとんどの教師がやったことのない「放射線教育」。 「放射線について、家庭で話題にさせたい」と授業参観を実践した教師たち。 「これからの生き方を自分で考えられるようになるための科学的根拠を学ば せたい」という教師たちの願いが、動き始めた。 予告編 https://www.youtube.com/watch?v=NCgk0JSVy_g&feature=youtu.be